私は長崎県の壱岐という島で生まれました。父は九州電工の電気工事士、親戚にも大工や自動車の整備士がいる。私もそうした職人気質を受け継いでいます。父は、私が3歳の頃、博多に出て独立。自営業となった父が電気工事する現場では、母が大事なサポート役。まだ小さかった私と妹は、工事現場の隅っこで遊びます。いつも家族が一緒でした。職人の道具は男の子には最高のおもちゃ。作業現場は秘密基地。小学生で電気工事職人としてデビューを果たした私は、福岡工業高校の電気科に進学します。
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跡継を目指している自分が「優等生のおぼっちゃん」に過ぎないのではないかと気づき始めた思春期。創業者の父はカッコ良い。二代目に甘んじようとしている自分はカッコ悪い!自分の力を試したい!そんな想いから親戚も知人もいない金沢工業大学へ進みました。勉学はそこそこに、バイト、バイト、バイト。やがて北陸最大の設備設計会社で電気設計の仕事に就き、仕事に明け暮れました。
将来の夢は父のように創業者になること。では何の職業が良いのか。あれこれ思い悩んだ末、電気工事とも縁の深い建築の道を選びました。電気工事も大事な仕事ですが、やはり全体がわかる建築の道へ進みたい。そうした思いが強かったのです。父の背中を見ながら電気工事をしていた経験は、建築の世界でも大変役に立ちました。多くの職人が連携する建築現場の中で、電気工事はどちらかといえば裏方です。そうした裏方としての立ち位置から見える建築というものが、私の基本になっているのです。
若い頃の私は、その後、様々なことに挑戦します。店舗開発にも多く携わりました。有名な建築家の方々のお仕事もさせていただきました。創作家具も手がけました。建築とは一見関係のない、医療分野や先進技術開発の分野にも関わってきました。そしてあるご縁から、神奈川県の森林再生の取り組みに従事したことで、全てのことが一つに繋がり、自分が目指す建築のスタイルがようやく見えてきたのです。そこから、日本で最も星空が美しく、県の天然記念物にも指定されている希少な広葉樹ハナノキが生息する山里、長野県阿智村へとご縁が繋がりました。
株式会社バイオ・ベース作業所(阿智村春日)
右側に見える大きな木の箱が温存乾燥炉
私が取り組む建築は、自社の森から木を伐採し、低温で乾燥し、加工から本体工事までをワンストップで行います。そうすることで無駄な経費が抑えられ、その分、良質な自然素材をふんだんに使うことができるのです。他でもない私たち職人自身が日々作る喜びを感じながら取り組んでいます。そうした建築こそが住宅という大切な資産の価値を高められる。私はそう信じています。
この思いにたどり着けたのは、「若い頃の苦労は買ってでも」と働くことの意味を教えてくれた両親のおかげです。
株式会社バイオ・ベース 代表取締役
𨕫野 遙夫
(しめのはるお)
希少種ハナノキが育つ 春日の里